8/10/04 Tuesday. in Nishinomiya

先のアジアカップでの中国群衆の行動について、いろんな人がいろんなことを言っていたが、ワタシは東京都知事の「民度が低いんだからしょうがない」がちょっと気になった。「民度」というコトバの意味するところがすぐにはつかめなかったので。

辞書によると、

みんど 【民度
ある地域に住む人々の、生活水準や文化水準の程度。
[大辞林 第二版 (三省堂)]

だそうである。なんか、いろいろな意味に取ることができるコトバ遣いに思ってしまう。コトバのプロフェッショナルたる石原氏の発言ゆえ、なおさら考えてしまう。

でも、問題の根っこにあるのは単に生活や文化の水準なのであろうか?”社会主義市場経済”という、もともと水と油のように相容れない二律背反の国家システムの運営に、庶民は日々フラストレーションを溜めているのではないだろうか?経済活動自由化の進展に比して、行政は相変わらず中国共産党の役人が既得権を放さず、司法制度は不透明で、国内での富豪-労働者、沿海部-内陸部の所得格差はますます著しい。天安門事件以降、政府への直接抗議行動がタブーの状況ならば、群衆が向かう不満の矛先として、「日本」は格好のターゲットたり得るのではないか、と思えてしまう。

もちろん原因はこれだけではないと思う。やれ反日教育のせいだ!と単純化された報道ばかりが聞こえるけど、問題の根っこはかなり複雑なのではないか?複眼的にモノを見る習慣はこのような問題を見るときにこそ必要に思う。