3/17/04 Wednesday. in Osaka

「名状しがたいできごと」にたまたま遭遇してしまった。
「こんな振る舞いはしたくないなー」と強く思っていたのに、まさしく、故意に、そのように振舞った。

”悩み”って、例えばそのような場面で発生するんじゃないだろうか?(もちろん人それぞれに無限のシチュエーションがあって、一概には言えませんが)


カソリックにおける”懺悔”という行為は、けっこう、「的を射た」システムなのかもしれない。「罪」なことをしてしまった信者が、キリストの代わりの”神父さん”にそれを告白して、「許し」を請う。

やっぱ、誰かに”話す(聞いてもらう)”というのは、自分の気持ちを落ち着かせるんだろうか?
”話す”と”書く”は全然違うしなー。特に「ウェブ上」は、”そのまま書く”と、ほとんど全ての文章が、どこかの誰かにとっては「穏当でない」と判断されかねないし・・・。


文章から容易く想像できる、ワタシの長ーいハナシを不快に思わず時間帯に関わらず聞いてくれる人って・・・難しいなぁ。