3/9/04 Tuesday. in Osaka

自身のニワトリ農場での鶏大量死の報告を積極的にしなかった、農場の経営者夫婦が自殺したそうです。
なぜ、二人は自らの命を投げ出さねばならなかったのでしょうか?


最近の「食」に関わる事件・・・ワタシの”とっても穿った見方”ということを前提にしてもらって、

・「海外」でまず事が発生し、その危険が「海の向こうのこと」として伝えられ、いざ国内に飛び火したとき、マスメディアはニュース性をより強く持たせるためか、考え得る最大限のリスクを、不安感を持って伝える。
(メディアの報に接した市民が不安感を持っていてくれる限り、それは”ニュースのネタ”であり続け、メディアはその”ネタ”で儲け続けることができる)

・国内BSEの際に「対応の遅れ」を批判された行政も、できる限り自らはリスクを取らない方向で動いている。
(農家への法の厳格運用の反面、市民がいたずらに持つ不安感はメディア任せの放置プレイ)

・・・そして時間の経過とともに”リスクが許容範囲”なことを知った市民は、「牛丼大盛り」を喰らうため、往復\1,000-以上の電車賃を払いつつ、築地市場まで出かける。。


いろいろな場面で、メディアの歴々は「言論の自由」を唱えます。ワタシも、一応その「自由」のもとにこうしてコトバを連ねているのでしょう。しかしながら、「自由」を光にかざした時に、その裏側に透けて存在するはずの「責任」を、残念ながら今のメディアからワタシは感じ取ることができません。新聞の部数競争、テレビの視聴率競争は、”ニュースのネタ”をよりスキャンダラスに偏らせ、人生の中でのたった一つの判断ミスで、その人に「命」をも投げ出させてしまう、、、本当の「社会の病巣」はもっと別の場所にあるように、ワタシは思います。